JR北海道を国鉄に戻せ

JR減便、廃駅計画 地域の足、熱意と知恵で守って

12/07 05:00 北海道新聞根室支局

くしの歯が欠けるように、ひとつ、またひとつと駅がなくなり、やがて地図から消える―。JR北海道が 北海道新幹線 も開業する来春のダイヤ改正に合わせ、大幅な減便と花咲駅廃止を計画する花咲線(釧路―根室間、延長135・4キロ)に対し、沿線住民の多くが予感している将来の姿だ。「利用客がいなければ減便やむなし」との声は少なくないが、採算の名の下に駅や路線を切り捨てるばかりでは、産業衰退や人口減に悩む地域の未来は見いだせない。
9月中旬、JR北海道が花咲駅の廃止方針を根室市に伝えてから間もなく、かつて通学で同駅を利用していたという男性(83)が1枚の写真と新聞記事のコピーを見せてくれた。記事は、旧国鉄が1961年に、合理化の一環で運営を民間委託した花咲駅の利用状況を「7カ月間で約10万人の乗降客数があった」と伝えている。往事のにぎわいを今の寂しさから想像するのは難しいが、その後、花咲線は合理化の波にさらされながらも、地域の足としての役割を担ってきた。学生時代の思い出を振り返る男性からあふれ出る言葉には懐かしさと寂しさがにじむ。

後略

My Comment

近年、JRの不祥事が相次ぎ、列車のメンテナンスはもとより保線業務のずさんさや安全管理の不備が指摘され、本業の鉄道輸送会社を運営する資格もないことが明らかになってきた。
国鉄は沿線住民のための移動手段を提供するインフラであり、その設立には多大な国税が投じられてきたはずである。
それは日本国中につながった鉄路があったればこその地方の繁栄であったはずである。
また、それは地方や過疎地に暮らす人々の憲法第25条に制定されている生存権そのものの保証でもあった。(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)
国民が生活するための移動手段(国鉄)はこの最たるものであった。
にもかかわらず、行政はこれを採算性と合理化だけを目途に民営化し、民間企業へ莫大な資産を売り払ってしまった。
同じことは、郵政民営化も電話公社も一様に国民へのサービスを民間に任せてしまった。地方が成り立っていたのはこれらの安定した職場を得ていた多くの職員が住民であったからである。
そんな資産を受け継いでも、その採算性や安全性について通常の民間企業の血のにじむような合理化もせず、赤字路線対策も何ら対策を講じるでもなく、赤字だから廃線にするという幹部職員の感覚はいかがなものであろうか。これを監督する国土交通省も管理だけはするが採算については何らの支援すらしない。
不採算であっても、黒字化への指導を行い、職員給与を切り詰めるなどの努力をした上での赤字は、国が肩代わりしなければならないはずである。
日高線の災害による鉄路の被害でさえその復旧工事に行政は一向に支援しないし国土交通省さえ何も支援しない。すべて沿線自治体に丸投げしている。
一方で、福島の原発事故の復旧や東北の震災復旧には国を上げてやっている。
地方の赤字路線廃止はまさにこれに匹敵する事件であるはずなのに、高橋知事は何らの支援や国への要求さえしない。
一方で、北海道は食料基地だと農業政策のみ熱心だが、肝心のインフラさえ整備しない国は何を目標にしているのか皆目見当がつかない。
勘ぐれば集団的自衛権に次いで、次の選挙で自民圧勝となると、今度は憲法改正の発議?
この憲法25条の生存権さえ改正しようという自民党の意図が見えてしまう。改憲によって、社会保障も地方衰退についても何ら政府が責任を持たなくてもよくなってしまうからだ。
国民は、もっと自分たちの権利をしっかり政府に要求することがない限り、中央集権の独裁国家になりつつあると感じるのは私だけなのだろうか?