「何をもって虚偽とするか」

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著者 室井佑月作家
1970年、青森県生まれ。銀座ホステス、モデル、レースクイーンなどを経て97年に作家デビュー。TBS系「ひるおび!」木曜レギュラーほか各局の情報番組に出演中。著書に「ママの神様」(講談社)、「ラブ ファイアー」(集英社文庫)など。

室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」

大鹿理財局長の「何をもって虚偽とするか」発言に唖然呆然

公開日:2020/11/27 06:00 更新日:2020/11/27 06:00
「何をもって虚偽(答弁)とするかは議論の余地があると思うが、答弁が行われたことは事実。深くおわび申し上げる」(大鹿行宏・財務省理財局長)
これは24日の『朝日新聞 DIGITAL』、「安倍政権が『事実と異なる国会答弁』森友問題で139回」という記事の中の大鹿理財局長の言葉。
記事によれば、
『衆院調査局は24日、森友学園問題に関して、2017年2月から18年7月に安倍政権が行った事実と異なる国会答弁が計139回あったと明らかにした。』『調査の対象は、17年2月15日から18年7月22日までの衆参両院の国会質疑で、当時の安倍晋三首相や佐川宣寿財務省理財局長(辞職後の証人喚問を含む)らが行った答弁。』
前出の大鹿理財局長の言葉は、衆院財務金融委員会で調査を求めた立憲民主党の川内博史氏の質問に答えたもの。
責任を回避しようとする官僚の屁理屈ってすごい。「何をもって虚偽」であるかだってさ。で、そこから議論しなくちゃだって。唖然呆然。
官僚になるくらいなんだから、国会という神聖な場で真実でないことを答えた、それがどういうことかはもちろんわかっているはず。
この屁理屈に勝てるのは、2015年に岡田克也議員に、ご自身の言動の矛盾を突かれ、
「何をもって間違っているかわかりませんが、我々が提出する法案は間違っていない。だって私は総理大臣なんですから」
って答えた安倍晋三元首相だけじゃないかしら?
大鹿氏の発言も似たようなもの。
「だって私(やその仲間たち)は財務省理財局の人間。しょうがないでしょ、俺らただただ当時の安倍首相の嘘を取り繕わされただけ」
っていいたかったに違いない。国会での虚偽答弁のお詫びをあたしたちにしたいなら、「何をもって虚偽」なんていうわきゃない。あんたらの生活は誰が支えてて、誰に遣えているのだね?

My Comment

国会の質疑を聞いていて、この国はいかに論理的議論がなされていないか愕然とする。58年も前に、オウム真理教の広報担当であった、上祐史浩は、オウム真理教に対する様々な疑問に対して、「上祐は、ああいえば、こういう」と避難された。そのデイベート術は誠に巧みで、報道陣でさえ言いくるめられた事件を想起する。
その後、人文社会科・学(人文社会・科学は科学ではない)ではデイベート術なる議論術を相手を説得するために、赤であっても黒に言いくるめるデイベート術を研究した。その頃の学生が今高級官僚に収まって、知性のかけらもない利益代表(国会議員)を生み出し、多数の支持者をいいことにやりたい放題。邪魔になる憲法もその解釈を変更し、国会議論は3段論法の誤った使い方や、ご飯論法やらすり替え論法で大多数の国民を欺いてきた。さらに、コロナ禍においては、未知のウイルスに対する対応にまでその優先順序を誤り、医療科学の提言に逆らって、姑息なデータをもとにGO TOキャンペーンが感染拡大を招いたというエビデンスはないとまで言い切るスガ内閣は全く知性のかけらもない。
学術会議任命拒否でも大きな3段論法の誤りで言い訳しているが、この誤りを、国会で指摘されることもなく正当な対応とし、学術会議の改革へすり替える悪知恵を働かせる。
さらに、カーボンフリーを2050年までに達成するためにイノベーションを進めるなどという、全く科学技術のファクトを無視した政策を打ち出すなどすべてが日本の知性が問われている時代である。
CO2が地球温暖化の原因であるとされるIPCCは、科学者の結論だと宣伝するが、これらの科学者は御用学者で一方的な推論の域を出ない。
富岳で計算される結論は計算理論が確定していなければ、これも推論の域を出ない。すべてはこれらの知見をもとに数々の実験やデータをそろえた科学的な結論がない限りCO2温暖化説の論拠は成り立たない。
こんな時にそれらを推進している官僚+内閣は日本を誤った方向へ導いていることを国民が早く気付かないと取り返しがつかない。
しっかりとした、ファクトの積み重ねこそが正しい結論が導ける。
こんなまやかしの3段論法やご飯論法、すり替え論法がまかり通る国会は国民にとって全く意味がないものとなっている。
政治に無頓着なアホな国民が選んだ政治家である。気付いたときに士農工商の封建社会に逆戻りし、3流国家に落ちぶれることが目に見えている。