AIによる雇用の略奪危機

「仕事を奪われないよう 教科書は読めるように」

NHK 2018年8月23日 16時47分

東京都と都の教育委員会が教育政策の意見を交わす総合教育会議が開かれ、AI=人工知能の研究者がAIに仕事を奪われないため、中学校の卒業時に少なくとも教科書を読めるようにすることが、これからの公教育の最重要課題だと訴えました。
東京都庁で開かれた都の総合教育会議には、小池知事や教育長、それに教育委員などが出席し、AI=人工知能の技術開発が進む中で、子どもたちの「読解力」をどのように育てていくかについて意見が交わされました。
会議では、東京大学への合格を目指す人工知能の開発に携わった国立情報学研究所の新井紀子教授が意見を述べ、「人は意味を理解するというAIにない能力がある。しかし、読解力が低くて教科書を読めない子どもは、学習の方法もわからず、結果として、AIに仕事を奪われかねない」と指摘しました。
そのうえで新井教授は、中学校の卒業時に少なくとも教科書を読めるようにすることが、これからの公教育の最重要課題だと訴えました。
これを裏付けるように出席した都立高校の教員も、テストの問題文を理解できず、数学の問題に正解できないケースや、知っている単語の数が不足しているため、問題文の一部を読み飛ばすなどして解答してしまうケースなど、読解力に課題にある子どもが相次いでいることを報告していました。
東京都と都の教育委員会は、23日の意見を今後の教育政策に生かしていくことにしています。

My Comment

中高生の塾講師の経験を持つ筆者には、この指摘は遅くに失したと感じる。現60歳以上の戦中戦後を生き抜いてきた人間にとって、何事も平等にという教育の平準化を始め、高等教育の場の拡大により、学力の低下と高卒資格基準の低下がますます拍車をかけて学力を低下させた。
これらの学生を受け入れる大部分の大学では、真の高等教育ができない(理解できない)まま卒業させているとしか思えない。
一方で高専も例外なく、中学卒業生の学力低下に対処するため、高等専門教育を受けるために、中学レベルの総復習から始めざるを得ない。なぜなら、高専の教育目標を達成させるためのカリキュラムを完遂しなければ、第三者教育評価機構(JABEE)から制裁を受けるからである。
一般大学でこのような教育内容の審査を受けている教育機関は高専を除いてほとんどない。
近年高校で学力未達のために留年・退学となる生徒ははとんど聞かない。
出席日数さえ達成すれば、学力の厳密なチエックなしに卒業できるからだ。特に、感じるのは文章読解が小学生並みで一つも進歩していない。そのため計算はできるが問題の意味を把握できないため、文章・応用問題になるとたちまち理解不能に陥る。これは塾でいくら説明しても学力が向上しない理由である。
昔より、読み書きそろばんが基本の義務教育がいつの間にか、多くの教科が設定されて単なる詰め込み教育を行ってきた文科省の誤りである。
義務教育では、国語と数学・理科だけで充分である。それ以外の教科は教養講座として常識を教えるだけでよい。英語の授業を小学校からやることは構わないが、教科にする必要はない。日本語での読解・作文が完全でない状態での英語教育はむしろ弊害である。外国語はそれを必要とする人間のみが学べばよい。教科化してまでやる必要はない。
特に日本語は語彙・作文・読書・感想文の徹底を図ることを提案する。
また、数学は小学校での四則演算、分数、小数、方程式を完全に教育して中学へ進ませることと、小学校の算数・理科は、専門教員にゆだねる必要がある。小学校で理解不能に陥った生徒は、中学校でまったく授業についていけなくなる。しかも、教科書を読み解く力もないから、必死に勉強しても単なる暗記に過ぎないので、受験になるとほとんど忘れている。
その延長上の高校教育が前日の通りだから、ここでの挽回は不可能に近い。
それでも大学・高校を卒業さえすれば何とか雇用が保たれてきたが、AIという怪物が人間の考える囲碁も将棋も簡単に打ち破る時代が来た。
これらの過去の事例や経験を生かすような記憶のみの専門職はAIにとって代わられる。そのため大部分の既存の職業はAIコンピュータに置き換えられ、高等教育を受けてもAIには太刀打ちできず、大量失業時代に突入する。例えば、金融関係・弁護士・医士・会計士・薬剤士・教師等々広範囲にわたる。ロボットが製造業からライン作業員の雇用を奪ったように、AIが大多数の雇用を奪う。そのような時代では、創造性と独創性、文章読解、論理的思考等々人間の持つ高度な知性を有する人間のみが生き残る。
昔ながらの日本文化を支えた職人や農業が人間らしく生きる道なのかもしれない。そのためにも、日本語で書かれた過去の遺産である様々な分野の書物を読み解く知性こそが次の時代をリードして行くのではないかと考える。だからこそ物まね、暗記ではない真の学力は文章読解以外にない。
何よりも文章読解・相手に伝える作文が基本となる。スマホや絵文字に頼るようなコミュニケーションしかできない人間はやがて滅びる。